記録………思い出 No.2
私が住んでいる地域の最寄り駅のひとつに 東武ア一バンパークライン 高柳駅があります。
前の記事にも書きましたが、やっと複線化と駅舎の改築、駅前の再開発工事が始まりました。
今日現在駅舎は線路を跨いで上になりました。
EVも設置されています。
以前は改札口が東口一箇所だったのが、西口ができてアクセスが両方向からできるようになりました。
以前入口のなかった西口前はロ一タリ一ができス一パーも出店しています…宅地の造成も進みかなり家が建ちました。
今は旧駅舎の撤去と複線化工事が急ピッチで進められてます🏗⚒🚜
記念にするのか、かなりの方が写真を撮られています📸
完成にはまだあと 数年かかるそうですが、街の流れが変わりそうです。
ご覧いただきありがとうございます.☆.。.:.+*:゚+。 .゚・*..☆.。.:*・°.*・゚ .゚・*..☆.。.:*・°.*・゚ .゚・*..☆.🙇♂️
秋色 点描🍂🍁
日本人の好きな季節といえば 春の桜、秋の紅葉この二つではないかと思います。
今年は夏が記録的な猛暑だったので、気温が下がれば寒暖差が大きい為きれいな紅葉になるはずだったのですが秋になっても気温が高い毎日が続き各地の紅葉は遅れました。
一部が紅葉しただけでした
祭りも一段落したので久々に紅葉の光景を撮りたくなったので、まず近場から行き始めました。
桜もそうですが、紅葉も有名なところでなくても身近にある場所で撮り方を工夫すれば見た人に何かしらの思いを持ってもらえると思います。
まず自分の目に止まった場所、被写体をつかむ、気持ちを動かされた被写体の美しさをできるだけ表現する為にどこから撮ればいいか動いてポジションを決める、最後脇役を決めて撮る!
紅葉撮影の場合の脇役は池、置き物などプラスアルファになるもの、場所を探す。
紅葉撮影だからといって色づいた葉ばかりをとっても単調になりますよね
秋を感じさせてくれる空気感を切り撮る、画面全体で秋を思わせてくれる…そんな気持ちが大事かと
気持ちをどこで動かされて素敵、きれいと感じたかは人それぞれ でも撮った人と見る人の感じ方は違っても何かしらの思いはないと心は動かないですよね。
風景の場合は自然の光景が相手です。撮ろうではなくこの美しさを撮らせてもらう 全てにこの感謝の思いがなければただ目の前の風景を撮った
それだけの単なる動きで終わってしまう 画面から何かしらの撮影者の思いが伝わってこないと見る人も何もなんにも残らない
この思いは 感性 という事だと思いますが、磨くことはできますよね いろいろなものを見る、話す、やってみる これらをやることによって 素直に受け止めることができると思います。
ご覧いただきありがとうございました🤗☺️🙇♂️
今の自分にできることとは
私は写真に興味を持ち始めた時から事実を伝える手段のひとつが写真だと思っていました。当時はベトナム戦争、その後の中近東の内戦など…
そこに写し出されているのは勇ましい姿ではなく、行き場を失った市民、子供達の姿でした。
一枚の写真が こんなことが許されていいのか と問いかけてくるのを感じました。その後は心の奥にありながら日々のことにかまけて何ひとつやっていなかった!
昨年ある記事をNETで見かけ報道写真展に行った時、自分の孫と同じ年の子供達が生きるためにゴミを拾ったり、国を追われて着のみ着のまま毎日逃げ惑う 姿に どうして 同じ子どもなのに国が違うだけで と愕然としたのを覚えています。
先日 長い間拘束され解放された安田さんに対するメディア、評論家、政府からのコメントが渦を巻いていた。安田さんは当然最悪の時を覚悟していたはずです。自分の責任において
そういう人達は最後まで責任取らない 口先で自分を売り込んでいるだけ
現地で取材中の記者が撮影しようとしたが、あまりに悲惨なのでためらっているとその人の親が撮りなさいそして伝えてください そうしないと世界は真実を知ることはないと
ジャ一ナリズムが報道と違うのはここ
では振り返って自分にできることとはなんなんだろうと考えた時、金銭的支援(寄付)、実態の拡散の二つが今の立ち位置の自分にできることだと思う。
それも国際的支援同様継続していかなければ意味がない。 継続は力なり
小さなことでも広がって賛同する人達が集まり大きな広がりになれば意味はある
国境なき子供たち http://knk.or.jp/